福井大学子どものこころの発達研究センター発達支援 研究室

小島 雅彦

初めまして、どうぞ宜しくお願いします。

私は福井赤十字病院内にある、病弱のお子さんを主な対象とした学校に勤務していました。 児童生徒数が20名にも満たない小さな学校(分校)ですが、小学部から高等部まであります。高等部は9年前に追加で設置され、その後は、在籍児童生徒の半分以上が高等部の生徒です。

元々は結核その他の慢性疾患のために、長期入院しての治療が必要なお子さんのための学校でした。しかし、医療技術の進歩により、慢性疾患の入院患者が減り、それにともなって児童生徒数が減少しました。現在では、入院している児童生徒はほとんどいません。入院したとしても、せいぜい3、4ヶ月で退院し、また元の学校へ戻っていきます。1、2週間程度の入院ですと、教員が病院のベッドサイドまで出かけて行って授業をするだけの場合もあります。

その他の児童生徒は、他の病院に通院の上、ここに来ています。入院するほどではないが、一般の学校では感染の虞れがあるなどの理由ですが、純粋に体だけの病気というより、発達障害がベースにあって、心の問題を2次的に発症したため、元の学校に通えなくなったというケースも多いです。こうした場合、在籍が数年に及ぶ事もあります。

さて、私は30数年前、東京のある大学で国語の教員になるための勉強をしていました。と言っても、理想の教育者を目指すというような立派な学生ではなく、ただ小説を読むのが好きだからというような、テキトーな理由で選んだ道でした。

しかし、大学の3年のとき、家庭教師を引き受けた女子高校生との出会いが私を変えました。彼女には過換気症候群という、今でこそありふれていますが、当時としてはあまり知られていない病気がありました。学校の中で孤独感を感じると、好きな先生の前で倒れるという行動があり、初めのうちは救急車で搬送されていましたが、度重なるうち、「演技している」などと陰口を言われるようになりました。やがて周囲から完全に浮いてしまい、とうとう休学してしまいました。

私は主治医からヒステリーの一種だと聞かされ、症状を起こすに至る心理的な仕組みについて説明を受けました。世の中にはそんな病気があるのかと驚くとともに、人間の心の不思議さに興味を覚えました。特に、薬では治らず、器質的な素因もさることながら、それまでの育ちが大きく関与しているということ、心が健康になっていくと症状が出なくなるということに好奇心を持つようになりました。

以後、私は心理学や精神医学の本を読み始め、その女子生徒との関わりも、単に教科の指導をするにとどまらず、カウンセリングまがいのことをしたり、遊園地に連れて行ったりするようになりました。そしてその様子はノートに細かく記録して保護者や医師、大学の先生に見せて教えを受けました。さらに場面緘黙の小学生にも関わるようになり、国語の勉強は一層しなくなりましたが、「教育は面白そう、やっぱり学校の先生になって、心に問題を持つ生徒の役に立ちたい」と思うようになりました。

福井県に戻ると、希望どおり、高校の国語の教員にしてもらいました。みなさんも3年生で習ったことがあると思いますが、夏目漱石の小説「こころ」の第3部「先生と遺書」は、ほとんどの教科書に載っています。登場人物の「K」はなぜ自殺したのか。「お嬢さん」にふられて、いわゆる失恋の心の痛みから自殺したのではないんですね。書かれていることをすべて丹念に読んでいくと、別の理由が浮かんできます。<知りたい人はメールで>人間の行動に、絶対こうだというような理由付けは出来ませんが、それでも、全てを合理的に説明する仮説、心理の解釈を見つけることが出来れば、誰かがそれ以上の蓋然性ある説明をするまでは、それが正解なんです。わたしは授業においては、「証拠は全て、本文の中にある」をモットーに、人物の心理を読みとることを教えてきました。思い込みを排除し、虚心に戻って丁寧に話を聞くことや逆に主人公がそう話したからと言って、それが真実とは限らないと捉えることは、小説を読むときにも役に立ちます。カウンセリングの世界に通じるものがあります。

閑話休題。私はその後、所属高校内の教育相談係をした後、臨床心理学の大学院に内地留学をし、臨床心理士の資格を取得しました。そして、福井県教育研究所の相談課に勤務し、たくさんのケースを担当しました。そこでは、面談室でのカウンセリングにとどまらず、引きこもっている生徒に会うために家庭訪問をしたり、不登校の生徒の環境調整という意味で学校の先生に会ったりしていました。しかし、そのうち自分でまあまあうまくいったと思うのは半分にもなりません。せっかく相談いただいたのに、分かりませんと答えたため、がっかりさせられたみなさん、見かけ倒しですみませんでした。小説の登場人物の解釈など、生きている人間に比べたら遙かに簡単なことでした。

さてその後もそうした失敗に懲りずに、心に問題を抱える生徒との関わりを求めて月見分校に来ました。しかしうまくできていません。そもそも、「何々をしなさい」、「何々をしてはいけません」といような生徒指導をしなければならない役割を抱えつつ、一方で心理的な介入を図るというのは無理という言い訳も可能だと思います。しかし、ほとんどは私の経験不足、知識不足が原因です。生徒とは学校に来ている間はまるごとのつきあいであり、しかも自分以外の先生との協働の作業です。そこには考えないといけない問題や知っておかない知識が山のようにあります。

そんな状況で、私が必要だと思ったのは、医学的な知識、それも脳神経や伝達物質、遺伝というような生物学的な知識です。心理学(精神医学もそうかも?)では、根拠のない、それこそ文学的談義に花を開かせるカンファレンスもありました。エビデンス(根拠)に基づいた児童生徒との関わり、これは教育の世界でも不可欠です。 

私が現在所属している、小児発達学研究科は、そうした思いにまさに正面から答えてくれる、あるいは学ぶ機会を与えてくれる環境です。授業や勉強会において、世界で行われている研究の最新の情報に接することができます。国際的な研究の世界では、エビデンスの怪しい研究は批判され、無視されて淘汰されていきます。ここにいるとそのエビデンスをきちんと考える姿勢が身に付きます。どうぞ、みなさんも一度コンタクトをとって見て下さい。

連合大学院小児発達学研究科福井校(福井大学)所属 福井東特別支援学校五領分校 教諭 小島雅彦