福井大学子どものこころの発達研究センター発達支援 研究室

岡田眞子

臨床心理士・子どものこころ診療部

はじめまして
昨秋友田教授よりお招きを受け、今春4月より月1回福井大学医学部附属病院子どものこころ診療部に診療の一部及び心理士の皆さんへのスーパーヴィジョンを担当す るために、滋賀県より参上しております。福井県とのご縁は古く、20年程前にそれま で京都大学故河合隼夫教授率いるグループが担当されていた福井県主催自閉症(以下ASD)児親子夏季合宿を、平谷美智夫先生のお勧めで担当させて頂いた事が、当県で発達障害児への関わりの契機となりました。その後県立病院小児科療育相談担当を経て、平谷こども発達クリニック開設以来、昨夏まで療育と保護者グループカウンセリング等を月1回程度担当して来ました。今日では聞き馴染んだ用語となった「特別支援教育」のまさに黎明期に福井周辺でこの事に関心を持つ医師、教師、心理等が診療終了後のクリニックに集い症例や文献紹介等を学ぶ会で熱く意見を交した記憶が甦ります。今回本 執筆の機会を与えられましたのでASD児との出会いと臨床の記憶を述べます

<初めての出会い>それは突然衝撃的な形でやってきました。卒後勤務開始直後の大学研究所から都内某大学相談室へ研修に行った時の事です。室から小走りに出てきた女児が目前で、ぴたっと足を止め近づいてきたと思うといきなり脚をぺろりとなめ始めたのです。驚く私に気を留めることもなく手を掴みそれも舐め上げて両手で顔を掴みくんく んと嗅ぎ、最後に手首を軽くがぶりと噛んだのです。思わず声を上げて手を引くと初めて顔を見てにっと笑い部屋に引き上げて行きました。見た目の愛らしさに似つかわしく ない行為に私の方が驚きたじろいでしまったのでした。担当教官に女児の説明を受け、その時に初めて ASD 幼児は相手を触り舐め嗅いで探索、認知するのだと理解。今思え ば外界へのアタッチとそれを取り入れる手立て=回路が定型児とこれ程違うことを啓 示の如くに私は教えられたのでした。この出来事はその後多様な特性を示す ASD の方 達と初めてお会いする時の自身の戒めとして根付きました、「自分には分らない知覚感 覚を持つことを忘れないでいよう~」と。
「発達障害」は脳の神経回路とそれを担う器官の全般的かつ複合的情報処理機能が定型発達とは異なることをより的確に示す「神経発達障害」(DSM-5 APA 2013)と改 称されました。診断定義に新たに挙げられた知覚認知の特異性は自閉症児療育・支援臨 床への扉を押しあけてくれたあの初発体験を鮮やかに想起させてくれました。 <適応への手立て>33 年前当時人口8万程の市で乳幼児健診後の発達障害ハイリスク幼児への母子通所療育事業に参加した際に、療育支援の必須項目を定型発達の筋道を追 うことだけでなく、彼ら自身が持つ外界との接点や自他境界の関所となっている知覚感 覚回路を十分に刺激活性化するものに、と水泳指導や感覚統合、乳幼児発達研究の専門家の力添えを得て試行錯誤しました。ASD 児をこども集団に馴染ませる指導より、特定の快刺激場面を用意することで、場所=意味のある刺激と連動して覚えてもらい、家 以外にも快適な体験を広げうるのでは、と考えました。更に出来ないことを出来るようにする(bottom up)ではなく、今使えている手段を自発的に駆使する事で、自身の目的 的行為を達成する機会とする(top down)の視点を入れ、発達障害凸凹(杉山登志郎)の人が外界関与の意味を見つける機会を提供することだ、と仮説してみました。この発想はその後研修で訪問した英国自閉症協会設立のシビル・エルガー自閉症専門学 校の体験的理解学習カリキュラム、米国 NC州立大学精神医学部 Division TEACCHで実践されていた自閉症の人の文化を尊重する生活支援にも通じる支援と理解の基本 理念に通じることを実感して行きました。
ASDの人達との四半世紀を越える発達臨床で得た「違い」への支援アプローチは、ここ数年間思春期を越え「なりたい自分になっていく」変容の時期を支えるスキルや手立 てとして活用しています。例えば思春期の過活性化した知覚過敏の感度がもたらす自他 認識~何故俺だけ苦しい/我慢できないのか?の叫び、~、同じ特性を持つ養育者から の良かれと思う故に繰り返される叱責や強制への苦痛など、辛い環境下で他者と強く接 点を持つことで得意も苦手も自分の個性としてひき受けて行く遠い道のりで。 誰かが治すのではなく、少数派の彼ら自身が納得し、今出来るやり方で越えて行くこと を良し、と出来るそんなゴールが見えてくるところまで焦らずに付き合う臨床家であり たいと、「へたれるな、トンネルの出口は近いのだからと」とエールを送る日々です。
これからもよろしくお願いします。