伊達岡五月
RISTEX研究員
初めまして。2020年5月より子どものこころの発達研究センターにて学術研究員に加えていただくことになりました看護師の伊達岡と申します。福井県出身なので今回、故郷でご縁をいただいたことを非常に嬉しく思っております。
教員をしていた両親の影響で、幼い頃から子どもに関わる仕事がしたいと思っておりました。看護学科卒業後、大学病院へ就職、その後縁あって進学した大学院で初めて子どもの虐待について学びました。
ある朝、情報番組で親からの虐待やマルトリを受けて育った方々の特集を見たときのことです。番組の中では当事者の芸能人や作家の方がその体験や心情を吐露していました。しかし、視聴者からの「育ててくれた親へ感謝もせず、その言い分はなんだ」「厳しくしつけてくれた親の愛情だ」という旨のFAX の紹介で番組が終了してしまいました。当時は、「毒親」という言葉が流行りだした頃で、自身の被虐待体験をネットやメディアを通してやっと語りだしてくれていた時期です。正しい知識が無い事は、被害者をさらに傷つけることになることを目の当たりにした出来事でした。
しかし、私自身も「患者様の立場になって考える」ということを常に念頭において看護していましたが、大学院で学び始めていかに自分が患者様とその家族を平面的にしか捉えていなかったということを思い知り、反省する日々でした。同時に、第3者が子どもとその子を取り巻く大人や環境を多面的に理解する難しさも分かるようになってきました。ある非常勤講師の先生が「これから子どもの虐待に携わる支援者・研究者を目指していく者として『想像力』を磨きなさい」というメッセージで講義を締められたのをよく思い返します。
先日、子ども達に読み聞かせをしている時にふとこのことが頭をよぎる本に出会いました。谷川俊太郎の「わたし」という絵本です。わたしは山口みち子、5才。おとうさんとおかあさんからみたら“むすめのみちこ”、さっちゃんからみると“おともだち”、せんせいからみると“せいと”、きりんからみたら“ちび”(上の子は、ここで爆笑していました)。取り巻く環境によって、呼び名が代わり、そこでの役割や立場が違う。当たり前かも知れませんが、この当たり前の視点を持ち続けて、相手の立場に立って想像することの第一歩は、やはり正しい知識を身につけることだと思います。
もう少し私が携わってきた支援・研究に触れますと、「育児不安・育児困難及び虐待予防を目指した母親へのペアレンティングプログラム」の考案・実施が挙げられます。「子どもがかわいいと思えない。私は母親失格だ。」「思いがけず妊娠した。正直、受け入れられない」「自分がされたのと同じように、子どもに感情的に怒ってしまう」といったように、参加者のお母さんの中には、辛い幼少期の経験がある方もしばしばおられ、ご自身の子どもとの関係に悩みを抱えていました。しかし、話し合いの中で自身の育ちを振り返り、向き合い、そして落とし所を見つけながら、前に進もうと模索する姿を目の当たりにし、愛着関係の根深さ・奥深さを肌で感じました。そのような環境の中で愛着についてより深く学びたいという気持ちが募っていき、愛着に関する様々なセミナー等に参加する中で出会ったのが友田先生です。目に見えない心の傷を、愛着を、このような脳科学の視点から明らかにできるのだと、衝撃と感銘を受けたことを覚えています。
とは言いながらも、養育者としての私も上記プログラムに参加しているお母さん方同様、自身の子育てにとても悩み、本当にたくさんの方々からの温かい支援を受けて過ごしてきております。上の子がまだ乳児の頃には、危険な場面等どうやって子どもを叱ったらいいのだろうと本気で考えていました。今では友田先生の本を何度も読み返しながら、感情的に怒らずに済ませられるよう日々過ごしております。
ワークライフバランスの両立に限界を感じ、第2子の出産を機に前職を退職しましたが、いつかまた愛着についてより深く学びたいとふつふつとしておりました。そのため、今回研究員として科学的な最新の知見の全国普及を目指したプロジェクトに参加させていただける機会を得たことは、とても意義深く幸運な事だと感謝しております。
非常に微力ではありますが、友田先生、研究室の皆様及び家族への感謝を忘れず、精一杯精進して参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
伊達岡五月