福井大学子どものこころの発達研究センター発達支援 研究室

平岡大樹

PD研究員

平岡大樹と申します。日本学術振興会特別研究員(PD)として,2020年4月から赴任しました。

卒論の時から赤ちゃんの泣き声を聞いたときに聞き手に生じる反応を,主に認知心理学の手法で研究してきました。

泣き声に関心を持ったのは,ひとえに私自身が他人の泣き声を聞くことがとても苦手だからです。同じ空間で泣き声を聞いていると,「なにか自分が悪いことをしたのか?」「相手は自分を責めたくて泣いているんだろうか?」という思いが湧いてきて,泣くほど辛い状態の相手を差し置いて自分のことばかり考えてしまい,さらにネガティブな状態になってしまうことが多々ありました。そのせいで,人が鼻をすする音(泣き始めるサインに思える)も苦手です。 その原因のひとつとして,私自身が思いやりや共感能力にかけた人間である可能性が考えられるのですが,しかし時には相手が泣き出すとすぐに寄り添い,親身になって対応できることもありました。同じ人の中でも,何らかの条件や状況によって泣き声に対して反応が異なるのではないかとぼんやり考えていました。

そうした中で,卒論のテーマを決めるために泣き声の研究を調べていると,赤ちゃんの泣き声に対する養育者の反応について,多くの研究があることを知りました。 ヒトの赤ちゃんは他の哺乳類に比べて非常に弱い状態で産まれてきます。そして,自分自身の身を守れるようになるまでの期間が長い特性があります。泣き声は,そうした弱い存在である赤ちゃんが自身の状態を養育者に伝え,養育行動を引き出すための重要なシグナルとしての機能を持っています。一方で,赤ちゃんの泣き声は育児ストレスや児童虐待の発生にも関与します。厚生労働省が発表している「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」では,「泣きやまないことにいらだったため」という加害理由が毎年上位になっています。

一般的には,泣き声に対する反応の「良し悪し」は養育者の親性,多くの場合は母性というものに帰属されることが多いように思います。養育者の方自身でも,泣き声にいらいらする自分は良くない親なのではないか,と悩んでいる方もいます。しかし,その親性とはいったい何なのでしょうか。

認知心理学は,ヒトを情報処理システムとみなし,そのシステムのメカニズムを明らかにしようとする学問です。よく脳をコンピュータに見立てた比喩が使われます。 ある情報(ここでは泣き声)が入力されたとき,CPUやメモリ,ソフトウェアで情報が処理,変換され,グラフィックボードやスピーカー,ディスプレイ経由で再び外部に出力(養育行動)されます。PCでは多くのソフトウェアが機能して出力が形成されますが,心理学では「心理的構成概念」と呼ばれる目に見えない心的な要素・機能を設定して,入力と出力のギャップを説明しようとします。個人的な目標は,親性や母性と呼ばれるものをなるべく細かく分解し,内部のメカニズムを””見える化”することです。泣き声にイライラして「親としての資質がない」と言われても正直どうしようもありませんが,その下位要素と考えられている実行機能や共感や報酬系の機能の個人差,と説明できれば,もう少し客観的な理解や具体的な介入法も思いつきそうな気がします。

また,この研究室は養育者の問題について,神経科学やエピジェネティクスの立場から取り組んでいる点に憧れました。先ほど人の認知機能をコンピュータの比喩で考えましたが,コンピュータの機能はソフトウェアだけではなくハードウェアも大きく関わっています。ヒトによって搭載している遺伝子・身体・脳が異なるので,ソフトウェアが同じだったとしても入出力に影響が出ると思われます。養育行動の理解のためには,こうした様々な要因を絡めたアプローチが有用なのではないかと思っています。

最後に,友田先生から「育児に希望が持てるような研究を」とリクエストをいただいています。つい「~がないと~ができない,ストレスが高まる」のような捉え方や発信をしてしまうのですが,本来の目的意識に立ち返り,養育者の方を励ますことができるような研究を行いたいと思います。