福井大学子どものこころの発達研究センター発達支援 研究室

小泉 径子

PD特別研究員

平成26年の7月から、福井大学子どものこころの発達研究センターで技術補佐員となりました、小泉径子と申します。現在は主に研究室内のパソコン関係のサポート等諸々の仕事を行いつつ、少しずつ自分の研究の準備を進めています。

さて、私の興味関心は児童虐待やネグレクトのような不適切な養育が子どもの社会性に関する認知能力の発達に与える影響にあります。そのために質問紙や課題といった、実験的な手法を用いて検討を行っています。私が使っている課題や尺度の多くは、社会心理学の領域で用いられているものであり、特に臨床で活動されている方々には馴染みのないものや概念も多いと思います。

元々私は北海道大学の社会心理学研究室で、実験心理学の手法を用いた研究について学んでいました。当時のボスは、現在は一橋大におられる山岸俊男先生で、今までの漠然とした人の行動や社会に対する思い込みを、実験で得られた明確なデータを以てばさばさと斬り捨てて行くその姿は、本当に格好良く見えたのでした(実際とても格好良い方なのですが)。人間の行動や信念、偏見などを数値というかたちで可視化するという手法は、正直若干うさん臭いと思っていた心理学に対するイメージを一変させました。

その中で特に私は「他者理解(他人が考えていることを理解すること)」について強く興味を惹かれました。その理由は明快で、私は他人のことがよくわからないからです。心理学者は自分に欠けているものに関心を持つとも言われます。それがどれだけ妥当性のある話かはわかりませんが、何故皆が他人が考えていることがわかるというのか、どうして相手が嘘をついているとわかるのか。そしてそれらを個人内で規定しているのはどのような要素なのか。こういったことを知りたい、まだ誰も知らないなら解き明かしたい、そのための道はまっすぐだ。そう思っていたはずでした。

社会心理学を学ぶために講座配属された大学二年、およそ一年務めた飲食店のアルバイトに見切りをつけ、学習塾の講師のアルバイトを始めました。飲食店を辞めた理由はいろいろありますが、ひとつは同僚の女の子たちのほぼ雰囲気だけで成立する会話が理解できず、浮いてしまったことと、どうしても常連のお客様の顔が覚えられずに何度も怒られたという理由が大きかったと思います。私を心理学に向かわせた要因は、飲食店バイトでの苦労にあったのかもしれません。そしてその次の大きな方向転換もまた、バイトによってもたらされました。

勤めていた学習塾は、後々になってからかなりブラックな会社だったことを知ることになったのですが、ともかく形態は個別指導でありました。自分が担当する生徒数名の顔さえ覚えればなんとかなること、何曜日の何コマ目にその子が来るのかが決まっていることから、人の顔を覚えられないことによる苦労はいつ誰が来るかわからない飲食店の場合よりもだいぶ小さくなりました。そして、個別という形態上、子どもひとりひとりとじっくり話す機会が多くあり、学校や家庭での出来事を話してもらえることもありました。

その中で、親からの不適切な関わりの強く疑われる子が、何人もいました。子どもたちが話してくれた親からの言葉の暴力、身体的な暴力に、それまで適当にトラブルを起こしつつもそれなりに安穏に生きてきた私は、初めは誇張して話しているのではないかと思いました。動物や子どものような弱いものに対する攻撃を行うような頭のおかしい大人が、そうそうまともに社会生活を営んでいるなどと想像もできなかったのです。その訴えが数カ月、年を越しても繰り返されることや、子どもたちの傷の様子などから、どうやら本当であるらしいと確信を持つまでには、かなりの時間が必要でした。

それから、私は塾の仕事と実験に追われながらも、機会を見つけては虐待に関する文献を読んだり、講演会に行くなどするようになりました。そのうち、子どもたちを救う為には児童相談所に通告し、介入してもらう必要があるのではないかと考え、正社員に相談しました。

しかし、何もすることはできませんでした。本人が拒否したからです。

児童相談所なんかに通報したら、もっと叩かれるし、環境が変わるのが怖いから、何もしないでほしいと本人は言いました。

今となってはそれでも通告すべきでした。しかしまだ学生だった私はそう言われてしまっては何もできず、正社員も正しい知識を身につけるための時間的、精神的な余裕もなかったのだと思います。今となっては。

結局なにもできないままその子は卒業し、私も修士課程への進学のため塾を辞めました。

その子に、なにもしてあげることはできませんでした。あるいは、私にそのことを話したのは誤りだったと思っているかもしれません。事態を大きくし、正社員にまで知られ、結局なにもしてもらえなかったのですから。

申し訳ない。謝りたい。もう二度とこんな思いも失敗もしたくない。

なにが駄目だったのか、どうすればよかったのか。その答えを求めて、修士課程では周囲の人に止められながらも臨床心理学の研究室へと移籍しました。人の特性を数値で表すという手法を使って、虐待を受けた子どもたちの示す他者理解の特性を示せば、より効果的な支援がしやすくなるのではないかと思ったのです。

しかし反対された理由はすぐにわかりました。あまりに言語も文化も違い過ぎたのです。直接目と耳で得た情報を非常に重視し、ケース研究以外の研究を行う人が少ない中で、実験的な手法を提示したりすると、そんなもので個々人の特性は測れない、数値では表せないと不快に思う人さえいる。それははっきりとした数値で結果を示す手法に魅了されて心理学に進んだ私には、あまりにも馴染めないものでありました。また、将来の子ども支援には役立つかもしれないとしても、協力してくれた子ども本人に対し、直接に成果を還元できない研究をすべきではないという意見もありました。

それでも指導教官の理解と支援を得て、なんとか研究がぼんやりと形になりかけていた頃、児童精神科医であった指導教官は突如開業を宣言して教職を辞してしまい、私は宙ぶらりんの立場に放り出されることとなりました。

元々指導教官以外にほとんど内容を理解している人もいない研究でした。ただただ文献を読んだりするばかりの日々を数カ月送っていた頃、学会に参加するため東京にいた時、偶然、友田教授が都内で講演をすることを聞きつけ、参加してみたのです。

友田教授と元指導教官が知り合いであることを知っていたので終了後に挨拶をさせていただき、話の流れから元指導教官が開業していなくなってしまったことを話すと、それでは福井に来ないかと誘われました。

正直地元を離れるのは嫌でしたが、このチャンスをつかまなければ、研究はここで終わってしまう。面白そうな研究を全部他人がしてしまう。その講演会の半年後の冬、私は初めて実家を出て、福井に引っ越してきました。

それから今に至るまで、私は福井大学で、虐待を受けた子どもの他者理解能力を測る研究を続けています。

私のやっている研究は臨床群を対象に実験的な手法を用いるというもので、臨床の専門家、実験心理学の専門家のどちらからも、何をやっているかわかりづらかったり、中途半端だったり、目的が見えづらいところがあると思います。以前はそのために、社会心理学に残った同期はもう大きな研究をしているのに私は何をやっているのだろうと思ったり、いつか臨床のお役に立てれば良いと思ってやっているのにどうして敵視されるのだろうとつらくなり、何度も心が折れそうになりました。

ですが今は、ひとりぐらいはこんなのがいてもいいのではないかと思っています。

臨床で出会う一例一例違う子どもたちの示す姿、実験的な手法によって示される、「不適切な養育を受けた子ども」に多く見られる特徴、その両方が今後の支援の発展には有効であろうという考えは、初めからずっと変わっていません。どうしてわかってくれないのだろうと思うことが誤りだったのです。

正しいことや有益なことであっても、言う人間に説得力がなくては、多くの人に耳を傾けてもらうのは困難です。人間は聞きたい人間の意見しか聞きません。話を聞いてもらいたいのならば、聞いてもらえるような人間になる努力をしなければなりません。同じスライドを用い、質疑応答が問題なくできたとしても、友田教授の代理で私のような若輩者が講演会をやったところで、わざわざ聞きには来ないでしょう。そして研究が正しい方へ、有益な方へと向かう為にも、話を聞いてもらって、その上での意見を言ってもらい、議論をする必要があります。

こいつの言っていることなら聞いてみよう、面白いかもしれない。そう思ってもらえるような人間になるためには研究者としても人としても、まだまだ未熟者ではあります。いつかそうなれるように、そして虐待を受けた子どもの支援に役立つ研究をし、尚かつそれを実際に役立ててもらえるように、頑張って行きたいと思います。

福井大学子どものこころの発達研究センターAge2研究室 ポスドク研究員 小泉径子