八坂知美
連合大学院博士課程D2
皆様、はじめまして。
連合小児発達学研究科博士課程1年、八坂知美と申します。平成6年から小児科医として働いております。 私は福岡県で生まれ育ち、鳥取大学に進学、同大学小児科に入局しました。家族の都合で医者4年目から九州大学小児科に入局し現在に至っています。
もともとは音楽の先生になりたくて、ピアノやバイオリンを頑張っていました。忘れもしません、高校2年生の誕生日でした。FMラジオで「日本の医者は音楽療法をとりいれることができていない」と言っているのを聞いて「ならば私がやる!」と医者になることを決心しました。精神科か心療内科か、と考えていたのですが当時の小児科教授が「小児科医はその子の病気を治すのは当たり前、さらにその子の未来と社会に関わっていることを自覚しろ」とお話しされたことに感銘を受け、小児科医になることを決めました。研修医1年目のとき上司に心身症を診たいと希望した際、「まずは全身疾患の鑑別ができるようになりなさい、興味のある分野に関わることを続けていれば、いつか専門にできるときがくる」と教えてくださいました。その言葉を座右の銘とし、臨床医を続けてきました。重症心身障害児医療に4年間関わったとき、発達障害の奥深さに興味をもちました。そのあと町立病院で7年間一般診療、乳幼児健診、障害児通所施設嘱託医をさせていただいたのですが、この時期に子どもの虐待防止法が制定され、エジンバラ産後うつ病質問票が福岡市の保健師さんによる新生児家庭訪問に導入されました。医者になって10年ぐらいたっていたのですが、育児困難におちいる養育者、ゲーム機を手放せない子ども達が増え、待合室で会話がない無表情の親子の姿が目立つようになったと感じていました。発達障害診療と母子支援をライフワークにしようと思った矢先に、イギリス(グラスゴウ)で生活することになりました。娘がちょうどprimary schoolに入学する年でしたので、それから3年間、イギリスの教育や小児医療の実態を経験することになりました。とても一言では言い表すことができない貴重な経験でした。印象的だったのは、先生や養育者はもちろん、周囲の大人達が子供達に「I’m so proud of you!」とほめる場面にしょっちゅう遭遇したことでした。また、娘の友達の母親が店内で「静かにしなさい」と息子の頭を叩いたら、驚いたことにその店から学校に連絡が入り、母親は校長先生に呼び出され注意を受けるようなエピソードもありました。当たり前ですが、イギリスの「子育て事情」の背景にある気候、文化、宗教観、国民性、何もかも日本とは異なっていました。ですから、特に「子育て」に関する分野は、その国特有のシステムを築くことが必要だと感じました。
帰国後、現在勤務している済生会福岡総合病院に赴任しました。ここは歓楽街のど真ん中にある救急病院かつ恩賜財団であり、産婦人科は助産施設に指定されています。経済的困窮を抱え、複雑な家庭環境で育った親とその子供達に毎日関わっています。「子どものソーシャルワーカー」として世代間伝達を乗り越える手伝いをしたい、と妊娠期からの母子支援に着手しました。そんなとき友田教授の「傷ついた脳」に関する講演をお聞きする機会を得、虐待再発防止ではなく真の意味で予防しなくてはいけない、と思うようになりました。そのために一般小児科外来診療で患者さん達から教えてもらっていることを「研究」として可視化、データ化したいと考えました。そして次世代に還元したい、という思いで先生方に教えを乞うこととなった次第です。貴学に赴いて学びたいというのが正直なところです。ですが、諸事情が許さず、遠隔でお世話になる我儘を許していただいておりますことに感謝いたします。皆様ご指導、どうぞよろしくお願いいたします。